皇室献上の技を現代に
手作業が紡ぐ唯一無二の
「翠雲彫」

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滋賀県

滋賀県米原市上丹生の地で70年以上受け継がれる伝統の技「翠雲彫(すいうんぼり)」。昭和10年、初代翠雲が翠雲彫として彫刻所を開業したことからその歴史が始まる。翠雲彫は、写実的で立体感あふれる彫刻技法が特徴の伝統工芸だ。神社仏閣やだんじり、山車、神輿、仏壇、欄間、さらには床の間に置く七福神や仏像まで幅広く手がけている。その伝統と技術は2代目、3代目へと受け継がれ、時代に合わせた作品に注ぎ込み大切にしている。

機械では再現できない手彫りの繊細さと温かみに満ちた作品は、訪れる人々を魅了し続ける存在だ。本記事では、3代目として翠雲彫を承継した井尻彫刻所代表である井尻一茂氏に、家業を継ぐに至った背景や職人としての思い、そして未来へのビジョンを伺った。

PROTAGONIST

井尻一茂3代目

どんなものでも作れる!オーダーメイド彫刻

昭和10年、初代翠雲氏が米原市上丹生の地で「翠雲彫」として彫刻所を開業した。上丹生は古くから「職人の村」と呼ばれ、仏壇製作が盛んな土地柄だ。当時、翠雲さんの父親は炭焼きを生業とし山仕事に従事していたが、非常に重労働だったため翠雲さんはその仕事を継ぐことは考えなかったという。そんなとき、上田派と呼ばれる躍動感のある彫刻を製作していた職人である森氏のもとで弟子入りし、手伝いをしながら技術を身につけたという。14歳で彫刻の世界に入った翠雲は、わずか10年後の24歳には弟子を取るようにまでになり、その技術力の高さが広く知られるようになった。

その後、翠雲は皇太子殿下(現今上陛下)への献上物を手がけるなど、その腕前は国内外で高く評価されるようになった。創業以来70年以上にわたり、上丹生彫刻の伝統は受け継がれ続けている。

現在、井尻彫刻所では、神社仏閣やだんじりの彫刻をはじめ、仏壇、欄間、家や店舗の顔となる表札や看板、アクセサリーなど、幅広い製作を行っている。特にオーダーメイド製作が得意だとか。

「使用する木材は、けやき、ヒノキ、クスノキ、ヒバ、ホオノキ、桜、杉(屋久杉)など高品質なものを厳選しています。また、琵琶湖材という滋賀県で森林組合さんが間伐された木材も使用しています。琵琶湖材を使ったアクセサリーを作ることで、滋賀県産の木材をブランド品としての価値を広めたいですね」

基本的にどんなものでも作れることが井尻彫刻所の強み。飲食店の装飾品にも力を入れており、これまで東京広尾にあるお寿司屋さんの天井彫刻や、京都のフランス料理店「epice(エピス)」の欄間や看板を手がけてきた。海外のホテルのエントランスやロビーでのモニュメント製作を行うことが夢だという。

必要なことを自分で見つけていくしかなかった

井尻氏は、幼い頃から絵を描いたりものをつくることが好きだったという。家業の彫刻所では、毎日ノミ(穴を開けたり溝を刻んだりする小型の工具)の音が響き渡る環境で育ち、その音が自然と彼を彫刻の道へと導いたと語る。

「2代目である父は、もともとプロゴルファーを目指していましたが、その夢を諦めて職人の道に進みました。父は『好きなことをしてほしい。彫刻のことなんか考えんでいい』と言ってくれていましたけどね」

井尻氏は、仕事場で祖父や弟子たちから技術や知識を教わり、彫刻と常に向き合う環境で育った。そのため、名城大学理工電子学部電器電子工学科を卒業後、すぐに家業を継ぐことを決意。自然な流れで職人の道を選んだ。創業者である祖父の技術を「一番」と評価していたため、他の工房で修行するという選択肢は考えなかったという。

「祖父は本当に厳しく怖い存在でした。その時にはわかりませんでしたが、今となれば祖父の言葉一つひとつが今の自分の土台になっていると感じます」

彫刻作品には同じものが一つもない。欄間の次は仏壇、大きなものを作ったあとに小さな細かい作業が必要な作品を作るなどが日常だった。作るものが変われば、ノミも変えなければならない。オールマイティに仕事を受けていたからこそ、それぞれの技術の習得に苦労したという。

「ノミと研ぎの技術を習得するために3年、一人前になるのに10年と言われています。ただ、自分は常に上を目指したい。だから、死ぬまで修行だと思っています」

職人として歩むことを決めた井尻さんだが、個人事業主として事業をおこなうようになってからは、環境が一変した。お寺も建たず、仏壇業界も低迷してきたため、厳しい時代がやってきた。

「今までは給料をもらう立場で安定しており仕事も当たり前にありました。しかし、事業を始めてから仕事が激減したんです。そのため、デパートの催事に出たり、デザイナーさんとコラボしたりとやったことのないことにひたすら挑戦しました。セミナーや組合の取り組みにも積極的に参加し、マーケティングの勉強もしました。時代の流れの中で、必要なことを自分で見つけていくしかなかったんです。ターニングポイントとなったのはNGK(難波グランド花月)の看板製作ですね。この話がきた時はチャンスだと思いました」

当時、周りからは『本当にできるのか?』と心配されたそうだが、そう言われることさえも井尻さんの原動力にもなったという。このNGKの看板製作は普段の仕事を進めながら3人で半年かかったそうだ。NGKの看板を手がけたことは、井尻彫刻所の名を広める大きなきっかけとなった。

職人が一つひとつ丁寧な手作業で製作する

彫刻の修行時代はきれいに削るだけの作業だけを任され、腱鞘炎になることもあったそうだ。特にだんじり彫刻では、硬いケヤキを使った緻密な作業に苦労したという。

「最初は自分には無理だと思うこともありました。でも削り続けているうちにわかってくるんですよ。毎日やっていたら、彫刻も絵を描くような感覚になります。誰でもできると思いますけどね。今は職人半分営業半分というところです」

彫刻の工程では、最初の「荒彫り」が非常に重要だと井尻氏は語る。

「荒彫りの段階で全体の形が決まるので、ここが一番大事なんです。もし荒彫りがずれてしまうと、その後の仕上げでは修正できません。たとえば、現在製作中の招き猫の彫刻でも、足の部分はまだ荒彫りの状態なんですが、この段階でしっかり形を整えておく必要があります。一方で、最終工程である「超仕上げ」には、また別の難しさがあります。彫刻刀を用いてツルツルに整えていく仕上げは一つひとつの作業の丁寧さが必要です。ここが雑だと完成度がかなり変わってきます」

井尻彫刻所では、荒彫りから仕上げまで、職人が一つひとつ丁寧に手作業で仕上げている。龍や獅子など躍動感あふれる彫刻が得意だという。大きいものから小さいものまでオーダーメイドで製作する。完全オーダーメイドで作ってもらえる彫刻製作所は多くはない。井尻製作所の強みと言えるだろう。緻密な手作業による温かみは、機械彫りでは決して真似できない独特の魅力を持つ。

米原を「ものづくりの町」として広めたい

井尻彫刻所のビジョンは、伝統技術を次世代へ継承しながら、時代のニーズに応じた新たな作品を創出し、木彫り文化の魅力を広めていくことにある。その一環として、2020年には彫刻体験のグループ「上丹生ウッドペッカーズ」を立ち上げた。当初は外国人観光客向けツアーをしているツアー会社と連携し、彫刻体験をツアーの一部として組み込んだツアーを計画していたが、残念ながらコロナ禍の影響で活動を一時的に中断。日本人向けの体験プログラムへとシフトした。しかし、最近アメリカやオランダ国籍の方からの参加申し込みもあったとか。

「海外の方も皆さん木に興味を持たれていて、趣味で大工をされている方もいて、刃物使いも上手でした。そういう方々に彫刻を楽しんでいただけるのはうれしいですね」

現在は井尻さんに弟子はいないが、過去に1ヶ月間の短期指導を行った経験がある。そのとき指導した女性は脱サラ後に和歌山で独立し、今も彫刻の仕事を楽しんで続けているという。

「楽しんで続けてくれているのはうれしいですね。今は師匠の下で学ぶだけでは作品が売れない時代ですが、SNSなどを使って自分で作品を発信して販路を見つけられる時代です。木はどんなものにも変化できるので、若い子は柔軟な新しい視点を持つと、いろんなことができるんじゃないかなと思っています」

木彫りの魅力をもっと多くの方に知ってほしいという井尻氏。

「海外からも仕事場に足を運んでもらいたいです。Webサイトでの海外向けECサイトを充実させ、米原が『ものづくりの町』として世界中から注目されるようにしたいですね。木彫りの魅力が広がり、『米原に住みたい』と思う人が増え、将来の後継者に出会える日が来たら最高です。そんな未来を想像するとワクワクしますね」

井尻彫刻所は、お客様からのオーダーを基に唯一無二の作品を作り出す。そこには、手作業ならではの温かみと、職人の情熱が込められている。その作品は、見る人の心に深く響き、木彫りならではの躍動的な魅力を放っている。

INFORMATION

井尻彫刻所

木彫りの彫刻をお求めの方は、滋賀の井尻彫刻所にお任せください。ご家庭の表札や店舗の看板、祭を彩るだんじりの彫刻、アクセサリーや小物、オーダーメイドの木彫り彫刻作品などの製作をお受けしています。作品によって最適と思われる木材を選び、これまで培ってきた技術力を活かして、職人が一つ一つ全て手彫りでよりイメージに近い作品をお届けします。機械彫りでは再現できない細かさと独創性、暖かみが魅力です。記念品や贈り物、思い出の品などの用途やデザイン、ご予算もお気軽にご相談ください。

創立
1935
従業員数
-
ホームページ
https://ijiri-choukokusho.com/
Writer:
GOOD JOB STORY 編集部

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