一針一糸に描かれる美
126年の刺繍の伝統

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京都府

創業126年を迎えた株式会社宮川は、着物や帯、他着物に関わる商品の製作と販売を行っている。
家業である株式会社宮川(京都市中京区)の4代目として入社し、約40年間ものづくりの現場でプロデュースを行ってきた代表の宮川雅宏氏がこだわりの刺繍を世界へ発信する。

PROTAGONIST

宮川雅宏代表

会社の存続と伝統継承を客観的に捉える

 同社は、明治30年に宮川留吉さんが京都市中京区に宮川商店を創業し、戦後企業統制令で一時中断するものの、5年後に再開。昭和46年に法人化へ踏み切り、株式会社宮川設立となった。

 平成21年4月にホームページを開設し、「京べべや」というブランドを立ち上げ、同年12月にネットオークション事業を開始した。

 宮川氏が家業を継承し、会社を存続していく上での奥義として「会社を第一に考えた場合、どうするべきか答えは明白です。リタイアする時期を自分で決められるのは、むしろありがたい」と話し、次世代への継承と、引退時期を明確にすることの重要性を強調する。家族経営を行う中、しがらみがあるので難しい場面はあるものの、会社と住居をしっかり分け立場にとらわれず客観的に考えることで、家業の継承に感謝し、職人として粛々と精進する姿勢を示すことができると述べる。

 製作面では、刺繍の工程において客からの図案を元に刺繍配色指示データを作成し、専用の機械を使用して進めている。実際に刺繍をするのは機械だが、時間をかけて細かく手書きでの図案作成を行った後、1426色の中から色を選定して、細い糸を使用して奥行きを持たせ、自然に近づくように表現にこだわって仕上げている。

 宮川社長は「手間はかかりますが、人の感性が入ることでとても良いものがつくれます」と話す。

創業のきっかけ

 京都府丹後には「糸井」という姓が多く、初代は元々「糸井留吉」さんだったが宮川家に養子入りしたため「宮川留吉」さんになった。

 丹後は湿気の多い地域で、静電気がおきにくいことから織物を織りやすく、織物産業が発展しやすい環境にあった。そして、養蚕農家から良質な生糸を仕入れることがたやすいこともあり、織物産業として活発な地域であったのだ。これらの環境を生かし、初代店主は円福寺町にて、帯揚げ・半襟等の白生地卸商「宮川商店」を創業する。時を経て、町の商店から株式会社へと発展した。

 4代目の宮川社長は「僕は代々受け継がれた物づくりの工程や現場が大好きなんです。職人さんたちともずっと話していたいくらいです」と嬉しそうに話す。 

素材選定と工程のこだわり

 同社では生地の種類や色、季節感などを考慮して適切な糸の色や素材を選んでいる。糸については絹糸を主力としている。絹糸は蚕の繭を原材料とする天然繊維で 細い糸が結束しており、手触りがよく、 三角形の繊維の構造が光を反射して生地表面に美しい光沢を生み出す特徴があるのだ。刺繍糸で絹糸を使うのは和装業界では一般的だが、他業界では主力として使用していない。絹糸の製造地が日本には少ないため、日本の生糸商社らは中国やブラジルから仕入れていることが多い。生糸を、織物に適した糸に加工をして産地に流通させている。

 糸染めの工程について宮川社長は、「職人さんにお願いして染めてもらっています。液体の中に染料を混ぜ合わせ、そこに生糸を入れて染めるので都度色が違ってくるんです。色見本帳があるので “この色を使ってください” と一応指定しますが、職人さんはご自身の経験と見本帳の中から選んで使うことが多いので、その辺はお任せしています」と話し、絹糸とレーヨン、両方使用するには共に同じ太さにする必要があり、同社では絹糸に合わせて細めのレーヨン糸を使用していると説明した。

 刺繍の工程においては、「一色の糸でも、縫い方を変えれば別の色を表現できます。色を増やすとその分手間がかかりますし、たくさんの色を使っても良い作品ができるとは限りません。多くの縫い方の中から選択して、どうやって色の変化を表現するのか?機械を駆使するのも面白い部分なんです」と話した。

 同社の製品は刺繍に光沢や艶があるところが強みである。製品の価格は、使用する色の数や職人の手間暇を考慮して決定しており、一般的に、色の数が多いほど価格が高くなる。

 色の使用を最小限に抑えながら職人の技術で陰影や濃淡を表現するなど、刺繍技術の向上を続けるという企業努力の結果、ファンにしっかりと支えられてきたといえるだろう。

職人の技術継承

 宮川社長は、刺繍製品を日常的に使う人が減少していることや、高齢化が進み機械を扱える職人が減少していることで商品の提案率が減っていることを懸念している。

 「継承してくれる若い職人さんがいればいいのですが、いない場合は引退すると事業が終わってしまいます。しかし、うちの職人は探究心が強く、年齢を重ねても積極的に新しい取り組みをしてくれているので有り難いです。均一商品が溢れる時代に、アナログで手作業を行う唯一無二のオリジナル商品がヒットしている側面もあるので、1社で商品を背負うのではなく、1つの商品を支えるために、製造工程の中で思いを分かり合える職人たちが力を合わせる、という構図の方がいい結果が出るように思います」と話す。

「京べべや」ブランドの立ち上げと今後の展開

 同社は、昭和47年に染加工部を新設し、その頃から生地の製造や製品加工に力を入れるようになった。織り、染、絞り、繍い、それぞれに職人の心意気がこめられており、京べべやでは和だけではなく、モダンなデザインの小物も手がけている。 刺繍に使う糸は通常より細いものを使うことで細部まで繊細に描写し、絹糸を使いゴージャスにあしらった刺繍から、ラインストーンを施した粋なもの、ドット柄などのかわいいものまで幅広くプロデュースしている。 

 4代目は「時代と共に変わっていくもの、変わらないものと向き合い、何を作るか?何を感じるのか?職人としてしっかり見極めたい」と述べ、同社が倒産するかもしれない危機を乗り越えながらも、競合が少なかったことや、客や仕入れ先に恵まれたことなど、感謝の意を述べた。

 日本文化の継承については「職人が学校に教えに行けば良いですね」と語り、着物については、現在の需要として購入とレンタルに分かれており、「伝統工芸品として楽しんで使ってくれるお客さまがずっといれば嬉しいです」と話す。

 特殊な工程が必要な刺繍商品である着物や帯など、縮小して行く需要を懸念しながらも、しっかり継承していきたいと意気込みを見せる。

INFORMATION

株式会社宮川

着物、帯、帯揚げ、半襟、帯締め等、着物に関わる商品を作っています。
オリジナルブランド「京べべや」商品の製作はもちろん、お客様のオリジナル商品の企画製作も承ります。
全て宮川のオリジナル製品で、仕入製品は一切ございません。   
物作りの街、京都で培われた技術と洗練された感性をもって商品をご提案いたします。

創立
1897
従業員数
-
ホームページ
https://kyobebeya.com/
Writer:
GOOD JOB STORY 編集部

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