大阪道具屋筋の看板文化を繋ぐ挑戦者
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大阪府
100年以上の歴史を持つ道具屋筋商店街(難波)で、看板店舗用品を販売する傍ら、地域との交流を大事にする株式会社ドーモラボ(大阪市中央区難波)。代表の岡野誠司さんは “人は、感謝の気持ちを無くしたら人間じゃなくなる。”という師匠の言葉を胸に、「ドーモ」と「ラボ」を社名に入れることで感謝を忘れず、 謙虚な気持ちでコツコツと日々探究心を持ち続けるという意を込めている。岡野さんの熱い思いはビジネスマンの枠を超え、道具屋筋の文化を次世代に繋ぐ「伝統と革新の架け橋」と言えるだろう。
PROTAGONIST
岡野 誠司代表取締役社長
看板職人を継承する
ドーモラボは、2008年11月5日に看板専門店として設立。
元々商社に勤めていた岡野さんは、取引先の会長から「看板屋をやってみないか」と声をかけられ、二つ返事で事業の継承をした。看板作りの職人だった会長の中邨会長さんは、家族の中で「看板屋をやめて飲食店に改装した方が良いのでは?」という案も上がっていた。そんな折、岡野さんが事業継承をしてくれることになり、彗星のごとく現れた後継ぎに会長は大変喜んでいたという。
通常、事業の継承は親族関係者の中で行われることが多いため、外部者が参入したことで商店街の中がざわついた。岡野さんは、組合の青年部に入ったり理事会に参加したりなど、少しでも町内の方々と協力できるよう努めた。
道具屋筋商店街には、厨房道具や食器、エプロン、グラスなど、商売を始めるための道具が揃っており、また昭和の懐かしい街並みを思い出させる雰囲気も漂わせている。
岡野さんは創業者の精神を引き継ぎ、多くの顧客と丁寧なコミュニケーションを取り計らいながら新しい風を吹かせたいと考えていた。
その後、6年ほど過ぎて会長の中邨さんは他界した。
死の淵から生まれた前向きな人生観
岡野さんは高校時代にバイクレースに挑戦していた。19歳で就職した後、突然、骨腫瘍という大病との闘いが始まる。腰に力がなくなり、歩けなくなって緊急入院をしたのだ。抗がん剤治療から起こる頭痛や吐き気、体の痙攣(けいれん)に耐えながら、死を意識せざるを得ない状況を乗り越えた。
「明日は死ぬかもしれない」そういった試練の中で、岡野さんは発想を転換し「生きているだけで丸儲け」という前向きな考え方を持つようになった。そして、「どうせ死ぬのであれば日本だけではなく海外にも行きたい」という思いで、人生を賭けた冒険を決意する。わずか半年間で100万円を貯めて、オーストラリアへ1年間のワーキングホリデーの旅に出た。
当時のことを振り返り「死の恐怖を乗り越えた私には、もはや恐れるものがありませんでした。初めての、言葉も通じない異国の地で、頼る人も居なく、出会う人が善人か悪人か判断しなければいけない中、直感の赴くままに行動しました。そして、働くことはもちろん、バンジージャンプやフルマラソン、スカイダイビング、スキューバーダイビング、そして砂漠走破など、数々の挑戦を重ねました。食生活で体を壊した時もありましたが、体調管理も必要なのだと勉強になりました」と話す。
帰国後は、日本の魅力を探究するため北海道で暮らしたこともあった。そして、物販業界、旅行業界、貿易会社、商品開発に携わる仕事を経て、大阪の看板業界に参入した。
これらの冒険や職業は、その後の岡野さんの事業設立に大きな影響を与えた。
看板を通じて店舗の個性を表現する喜びと、文化を守る情熱
岡野さんが商社にいた頃、看板の仕入や販売のために道具屋筋商店街を訪れていたところ、中邨会長と出会い親睦が深まった。そして、会長の商売人としての精神に共感を抱くとともに、独自の創造性も芽生えていった。
「看板は単なる表示物ではなくお店の個性なんです。お店の魂を形にするようなものです。看板を通じてお店の個性を表現しています」と話す。この考え方は、岡野さんの創造性と顧客目線のビジネススタイル基盤となっている。
看板は同社のオリジナル商品が50%以上を占めており、店舗としては小売店様式だが、どちらかというとメーカーに近い立ち位置と言える。そして、「和風の雲龍」「バイエル」「ニューレトロ」という三つのブランドを中心に展開している。
最初に立ち上がった「雲龍」は、アクリル板に和紙柄が練り込まれたデザインで、内側から電球色で光らせて行灯(あんどん)の雰囲気を味わえる。
特に「雲龍」は商品のバリエーションが多く海外においても好評だ。WEBを通して日本全国と海外にも販売している。
「ブランドは作っていますが、どちらかというとお客さんにアイディアをいただいてそれを形にしています。まずはヒアリングをして要望を聞いたものを商品化する。商品化したものでいいものがあれば、ブラッシュアップして品番をつけて、定番化しています。また、ビジネスのPDCAの基本を抑えつつ、プラスで地域密着に焦点を当てているのがドーモラボです。感謝の気持ちを忘れずにコツコツ進めています」と岡野さんは説明する。
道具屋筋商店街に参入して岡野さんは1つの懸念点に気づいた。道具屋筋があってこその、ドーモラボと考えているが、ネット通販やホームセンターの台頭で伝統的な道具文化が失われつつあり、看板商品もまた存続の危機に直面していることだ。
「道具は文化であり、失ってはいけない道具を守るのは道具屋筋の役割でもある。地域で協力して【人と道具が築き上げてきたもの。失ってはいけないもの】を次世代に残す活動が出来ないか?今後の日本の状態、物販の状態がどうなっていくのかとても心配です」。
この懸念から生まれたのが「絆具」ブランドだ。
商品を価格だけで勝負するのではなく、道具屋筋の文化と技術を次世代に伝えるためのブランディングとして、アイディアの限り創造したいという思いで、岡野さんは長く果てしない挑戦に挑んでいる。
この挑戦は決して容易ではなく、ブランディングを展開する難しさや、商店街全体の理解を得ることの困難さ、商品開発と価格バランスの壁など、多岐に渡る問題がある。岡野さんは幾度となく挫折しそうになったと呟く。
「でも、やっぱり勿体ないんです。この街の文化、職人さんの技術、お客様との繋がり。これらを失うわけにはいかない」と話す。
岡野さんの粘り強さと情熱は、口コミで話題を集め、今ではメディアからも注目を集めるようになっている。岡野さんの思いと行動は、確実に実を結び始めているのだ。
未来への展望
岡野さんの挑戦はまだ道半ばだ。しかし、岡野さんの目には確かな未来像が映っている。
「専門店化を進め、オリジナル商品の開発に力を入れていきたい。そして、この文化を全国に、さらには世界に発信していきたい」と意気込みを見せる。
越境ECの活用、海外展示会への参加など、岡野さんの視線は世界に向けられており、「お客様のアイディアを形にすること」「地域の人々と共に街を活性化すること」これらは全て、人との繋がりから生まれる。
「人は、感謝の気持ちを無くしたら人間じゃなくなる」
これは岡野さんの師匠から継承した精神である。
道具屋筋では今日も岡野さんの挑戦が続いている。岡野さんの情熱は、きっと多くの人々の心に火を灯し、この先も新しい仲間、新しい挑戦者を生み出していくだろう。
INFORMATION
株式会社ドーモラボ
“人は、感謝の気持ちを無くしたら人間じゃなくなる。”という師匠の言葉を胸に 社名に、“ドーモ”と“ラボ”を入れることで、感謝を忘れず、 謙虚な気持ちでコツコツと日々探究心を持つ!という意を込めています。
私どもは、ドーモラボの原点である、お客様のご要望(アイデア)をFACE to FACEの 対話コミュニケーションで、“ありがとう”と言っていただけるように日々探究し続け, 看板・店舗用品を通して、日本中、世界中の方々の店舗様を応援したい。
大阪・道具屋筋から、驚きを提供していく事が我々の使命と考えます。
- 創立
- 2008/11/5
- ホームページ
- https://domolabo.co.jp/
- Writer:
- GOOD JOB STORY 編集部